ポピュリズムとメディアの関係(感情の政治と共犯する情報環境)

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ポピュリズムとは何か

ポピュリズムとは、社会の中にある不満や不安を利用し、「民衆」と「エリート」などの対立構図を意図的に強調する政治の手法です。
経済の停滞や社会の分断が進む中で、人々は「自分たちの声が届かない」という不満を抱きやすくなります。
その不満を感情的に代弁し、既存の秩序を批判する政治スタイル――
それがポピュリズムです。
この手法は一見、民主主義を活性化させるように見えます。
しかし実際には、複雑な問題を単純化し、敵と味方の構図に還元するという危うさを伴います。
社会が感情で動くとき、政治は理性よりも熱狂に引きずられてしまうのです。

海外に見るポピュリズムの実例

21世紀に入ってからも、世界ではポピュリズムの波が繰り返されています。
たとえば、ベネズエラのウーゴ・チャベス政権。
「貧困層のための革命」を掲げ、国民から熱狂的な支持を受けました。
しかし、石油依存の経済を立て直せず、国全体が財政危機と社会不安に陥りました。
また、フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ政権では、「治安の回復」を名目に強硬な政策を進めましたが、その過程で法の秩序が軽視され、人権問題が深刻化しました。
さらに、さらに、イタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ政権も現代的なポピュリズムの典型です。
メディア企業の創業者でありながら「腐敗を断つ庶民の味方」として登場し、自らのテレビ局を通じて、華やかで親しみやすいリーダー像を演出しました。
スキャンダルさえ“人間味”として受け入れられる空気を作り出したのです。
しかし最終的には汚職疑惑と経済の停滞で政権は崩壊しました。
「ナチス」「文化大革命」もポピュリズムの要素を孕んでいます。
いずれの国や時代においても、ポピュリズムが政治を支配したとき、短期的には“大衆の代弁者”として熱狂的な支持を得ます。
しかしその多くは理性的な制度運営を損ない国を弱体化させる、または独裁政権を産むのです。

マスコミが果たしてきた役割

こうしたポピュリズムの台頭には、メディアの構造が深く関わっています。
マスコミはニュースの中で「誰が正しいか」「誰が悪いか」を明快に描くことで、複雑な社会問題を感情的に理解しやすい物語へと変換してきました。
映像の中では、怒る市民や涙する被害者が繰り返し登場します。
これが「共感の物語」を作り出し、視聴者の感情を揺さぶります。
視聴率が上がり、広告が入り、政治が動く――
報道は常に“感情の経済”と結びついてきました。
その結果、マスコミは事実を伝える装置であると同時に、感情を設計する装置にもなっていったのです。

SNSという新しい回路

ところが、21世紀後半に入って登場したSNSは、マスコミとは異なる“もう一つの感情回路”を作りました。
SNSの特徴は、情報が分散的に生成され、制御されないことです。
マスコミが発信したニュースは、SNS上で瞬時に拡散され、切り取られ、再編集されます。
そして、ニュースの文脈とは無関係に“怒り”や“皮肉”として独り歩きします。
つまり、マスコミが「空気を作る」時代から、SNSが「空気を再構成する」時代へと変化したのです。
本来、SNSはマスコミという情報権力を監視し、多様な意見や現場の声を可視化する役割を担うはずでした。
一方向的だった報道に対して、市民が自ら情報を発信し、検証する場を持てるようになったことは、民主主義にとって大きな意義があります。
しかし同時に、その構造は容易に“感情の共鳴装置”へと変わります。
SNS上の世論は、時に報道への不信や敵対感を燃料にし、「反メディア」や「反エリート」の感情を増幅させます。
その意味で、SNSはポピュリズムを加速させる“反報道のエネルギー源”でもあるのです。
いまや、ポピュリズムはマスコミの補完物ではなく、マスコミとSNSが対抗しながら共犯する構造の中で進化しています。

感情の政治がもたらす危うさ

感情に訴える政治は、短期的な支持を得やすい反面、制度的な持続性を失わせやすいという弱点があります。
経済政策や社会保障などの複雑な課題は、冷静な分析と長期的な計画を必要とします。
しかし、感情の政治では「即効性」「分かりやすさ」「敵の明確化」が優先され、合理的な政策ほど“退屈なもの”として扱われてしまいます。
これは、世界中のポピュリズム政権が共通して陥った落とし穴です。
怒りで始まった政治は、怒りのエネルギーを使い果たすと、国全体を疲弊させてしまうのです。

まとめ

ポピュリズムは、社会の不満を可視化し、政治に声を届けるという点で、
一定の役割を持つ現象です。
しかし、それが感情に偏り、敵と味方の構図を煽り始めた瞬間、
社会は分断へと傾きます。
マスコミは、依然として感情の起点を作る力を持ち、
SNSは、その感情を増幅し、ときに反転させる力を持ちます。
この“二つの回路”の間で、私たちは常に情報にさらされ、
無意識のうちに感情の政治に巻き込まれているのです。
ブレグジットが示したのは、
報道やネットの「空気」が国を動かし、
その空気が、最終的に国を誤らせることもあるという現実でした。
ポピュリズムの時代を生きる上で必要なのは、
「共感すること」と「距離を取ること」を同時にできる知性です。
情報の波の中で、自分の感情を自覚的に扱う力――
それこそが、今もっとも求められている“民主主義の免疫”なのだと思います。

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